香澄 kazumi
今からおよそ300年前、信州は中山道の軽井沢付近で馬子や宿場の飯盛り女達がうたっていた馬子唄が、旅人やゴゼさんによって北 国街道を通り、越後に伝えられ、山の唄が海の調べに変わって越後追分となりました。やがて北前船の船頭や船子達がこの唄を当時ニシン漁で繁栄期にあった蝦夷地唯一の港、江差に運びました。
「かもめの鳴く音にふと目を覚ましあれが蝦夷地の山かいな」
と唄われているこの歌詞は、その時代、北陸地方の下級武士や農家の次男三男たちは家督も継げず、暮らしもままならない状況の中、蝦夷地での大成を夢にみて北前船に乗り込んだのです。長い航海の末にある朝かもめの鳴く声に目を覚ますと、そこには夢にみた蝦夷地 の山が見え、期待と不安に胸膨らませながらも、故郷の親兄弟や恋人との別れて来た心情を唄っているのです。
江差に運ばれた追分節は、当時の流行歌(ケンリョウ節や三下がり)と合いなって江差追分節が生まれたとされています。その後、北国の風土と厳しい自然にもまれ、多くの先人達に歌い継がれ独特の哀愁おびた江差追分の節が完成されました。
(C)KAZUMI 2008